歯科医院長mabo400のブログ

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水・電話の貸し借り…終戦後の生活「お互いさま」の時代

2017/02/26
 
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氷冷蔵庫を見た事のある人は、現在50歳代以上の方だと思う。
電気冷蔵庫が普及しだしたのは昭和40年(1965年)前後だからだ。
この氷冷蔵庫は氷を毎日か2日に1回だか補充するので、
氷屋さんが巡回して届けてくれる。
そういうシステムなので、贅沢品だった。
もちろん、うちにはなくて、おばあちゃんのうちにあったのを知っている。

昭和30年代というのは、エネルギー使用量は現在のだいたい1/3、
石油は1/10しか使っていない時代だ。

これでも世界的に見れば贅沢な方で、
今でも昭和30年代にはるかに及ばないエネルギーしか使えない人間の方が多いのだ。

昭和30年代は、この産経の記事にもあるように、「ちょうどいい」バランスの取れた時代で、
物が溢れているわけではないが、飢えているわけでもなく、特に生活に不満があるということもない時代でした。

まあ、人類が持続可能でありたいのなら、
これくらいのエネルギー使用量でなんとかやっていく工夫をした方がよい。
べつにこの時代に戻れとか言っているわけではない。
この位のエネルギー使用量を前提とした新しい時代を作ろうということです。

僕はできると思いますよ。

http://news.goo.ne.jp/article/sankei/life/snk20110812106.html

ーー引用開始ーー

2011年8月12日(金)08:00

(産経新聞)
まもなく66回目の終戦記念日(15日)を迎える。電気、水、食料などが不足した戦後の暮らしは、東日本大震災と福島第1原子力発電所事故で強いられた不便な生活と重なる。モノのない時代からモノのあふれる時代への変遷を「昭和のくらし博物館」(東京都大田区)の小泉和子館長(77)に聞いた。(村島有紀)
◆なければないで
「当時は『お互いさま』の時代。電話も各家にはなく、ある家の電話番号を名刺に書いて呼び出してもらっていた。何もかもない時代だから自然と助け合いが生まれました」
大田区の東急電鉄池上線久が原駅で降り、「ゆうやけ通り」商店街を抜けて細い路地に入ると、昭和26年築の簡素な2階建て木造住宅「昭和のくらし博物館」がある。都職員で建築技師だった、小泉館長の父が住宅金融公庫(当時)の融資を受けて建て、平成8年までの45年間、小泉さん一家が暮らした庶民の家だ。
「暮らしの資料に」と11年に一般公開を開始。夏は建具をすだれに替え、冬は火鉢に火を入れる四季の暮らしを展示している。
猛暑のこの時期、汗を拭きながら訪ねたところ、玄関や縁側、ふすま、障子は全て開け放たれていた。いずれの部屋も意外なほど風通しが良く、過ごしやすい。台所には「氷冷蔵庫」、軒下収納庫には炭や炭団(たどん)(木炭の粉をフノリなどをつなぎとして団子状に練り上げたもの)などの燃料やつぼが入っている。
「氷冷蔵庫は氷を置いてそうめんなどの食材を冷やすため。今のように食材を家の中でため込むことはしなかったから、その日使うものしか入れなかった」と小泉館長。
3月11日の東日本大震災後、スーパーから水やコメ、トイレットペーパーなどの日用品が消えた。不安に駆られた人々が買いだめに走ったためとみられるが、小泉館長は「なければないで、あるもので工夫をしたのが戦後の暮らし。トイレットペーパーがなければ新聞紙で代用した」。
◆隣近所と触れ合い
ないものに慣れた生活とはいえ、最も困ったのが水だ。家を失った人々は、水道、ガスのない土地に家を建てた。小泉家も昭和27年頃まで、井戸のある隣の家へバケツで水をもらいに行った。もらった水は飲み水や料理に使い、コメのとぎ汁は食器洗いに。食器を洗った水は庭の畑の水やりにと再利用し、洗濯も最小限に抑えた。
水だけでなく近所の家の電話を日常生活で使う“お互いさま”の時代だけに自然と隣近所と触れ合った。
「時代が進むにつれて便利になり、だんだん人に頼らなくても生きていけるようになった。でも、そうするとコミュニケーション能力も落ち、人間が貧しくなるの。何かを頼まなければいけない状況だと、どういうふうに頼めばいいか、その人がどういう人か、いろいろ考えるでしょ?」
◆毎晩のように停電
戦後は深刻な電力不足。昭和24、25年ごろまでは毎晩のように停電したという。小泉館長の記憶では、家の電球が消えても街路灯はついており、窓際に座ってその明かりで勉強した。ただ、家電製品はないため、困ったことはほとんどなかった。
小泉館長は、家電製品が洗濯機や冷蔵庫程度だった30年代の生活が「ちょうどいい」という。
「便利で快適な生活には、きりがない。何が必要で何が必要でないかを自分で決めて律していくのが、人間の知恵。今のようにトイレの蓋の開け閉めも電気、食器を洗うのも電気というのは、やっぱり使いすぎだと思うのよ」
福島第1原発事故で、戦後一貫して追い求めた「便利で快適な暮らし」を見直さざるを得なくなった今年の夏。戦後の暮らしを訪ねてみることで、今後の生活のヒントが生まれるかもしれない。
昭和のくらし博物館の開館時間午前10時~午後5時(入館は午後4時半)。月曜・9月上旬・年末年始は休館。入館料は大人500円、小学生~高校生300円。10月8日にはワークショップ「電気のない暮らしを生き抜く昭和の知恵」を開く。1500円。申し込み、問い合わせは同館(電)03・3750・1808。

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