逝きし世の面影

      2017/02/26

ドル底割れ、、とか騒いでいますね、
ドル基軸通貨体制も終わりに近づいているということです。
ドルだけではない、あらゆる通貨、マネーと言う物の終わりが近づいています。

なぜかというと、現代文明は石油に依存していますが、
その石油が減耗し始めたのです。

マネーには限りがありません、マネーは人間の欲望そのものだからです。
紙幣はいくらでも刷れる、それどころかマネーはパソコン上の数字でしかありません。

でも資源には限りがあります。
人間の欲望に現実がついて来れなくなったのです、
需要を喚起しようにも、供給が間に合わない。

もう始まっている世界恐慌の根幹にはオイルピークの問題があるのです。
今回の経済恐慌にはケインズ政策(ばらまき)は効果はありません。

戦後50年掛かってここまできたものが、
この先10~20年で元の木阿弥、以下になるでしょう。
これは石油生産の図ですが、石油生産の頂点(オイルピーク)は2005年でした。
オイルピークを過ぎれば落ち込みは急激です(グレー部分)。
po-04.JPG

額に汗して働かない、他人から搾取して生きていこうという
金融資本主義・マネーゲームの時代は終わります。

時代は逆行せざるを得ませんが、完全に戻るわけではありません。

ではどこへ行きたいのか?

だれも教えてはくれません。
自分自身で考えるしかないのです。

ヨーロッパは石油がなくなれば、元の農奴制に戻るしかないでしょう。
そんな時代に戻りたいですか?専制奴隷国家ですよ。

かつてヨーロッパから植民地を求めてグローバリズムが日本にやってくる以前、日本には、ヨーロッパ人が驚嘆する「エデンの園」があったのです。

それがこの本。

部分引用してみます。


逝きし世の面影

1856(安政3)年8月日本に着任したばかりのハリスは、下田近郊の柿崎を訪れ次のような印象を持った。
「柿崎は小さくて貧寒な漁村であるが、住民の身なりはさっぱりしていて、態度は丁寧である。世界のあらゆる国で貧乏にいつも付き物になっている不潔さと言う物が、少しも見られない。
彼らの家屋は必要なだけの清潔さを保っている」。むろんハリスはこの村がゆたかだと言っているのではない。それは貧しい、にもかかわらず不潔ではないと言っているだけだ。
しかし彼の観察は日を追って深まる。次に上げるのは10月23日の日記の一節である。「5マイルばかりを散歩した。ここの田園は大変美しいーーいくつかの険しい火山堆があるが、できるかぎりの場所が全部段畑になっていて、肥沃地と同様に開墾されている。これらの段畑中の或るものをつくるために、除岩作業に用いられた労働はけだし驚くべきものがある」。
10月27日には10マイル歩き、「日本人の忍耐強い勤労」とその成果に対して、新たな賛嘆をおぼえた。翌28日には須崎村を訪れて次のように記す。
「神社や人家や菜園を上に構えている多数の石段から判断するに、ひじょうに古い土地柄である。これに用いられた労働の総量は実に大きい。
しかもそれは全部、五百か六百の人口しかない村でなされたのである」。
ハリスが認知したのは、幾世代にもわたる営々たる労働の成果を、現前する風景として沈殿させ集積せしめたひとつの文化の持続である。
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オールコックは1859(安政6)年日本に着任したが、神奈川近郊の農村で「破損している小屋や農家」をほとんど見受けなかった。これは彼の前任地、すなわち「あらゆる物が朽ちつつある中国」とくらべて、快い対照であるように感じられた。
男女は秋ともなれば「十分かつ心地よげに」衣類を着ていた。「住民のあいだには、ぜいたくにふけるとか富を誇示するような余裕はほとんどないにしても、飢餓や窮乏の兆候は見受けられない」というのが、彼の当座の判定だった。これはほとんどハリスと同じ性質の観察といってよい。
しかし1860(万延元)年9月、富士登山の折に日本の農村地帯をくわしく実見するに及んで、オールコックの観察はほとんど感嘆に変わった。
小田原から箱根に至る道路は「他に比類のないほど美し」く、両側の田畑は稔りで輝いていた。「いかなる国にとっても繁栄の物質的な要素の面での望ましい目録に記入されている」ような、
「肥沃な土壌とよい気候と勤勉な国民」がここにあった。
登山の帰路は伊豆地方を通った。肥沃な土地、多種多様な農作物、松林に覆われた山々、小さな居心地の良さそうな村落。
韮山の代官江川太郎左衛門の邸宅を通り過ぎたとき、彼は「自分自身の所在地や借家人とともに生活を営むのが好きな、イングランドの富裕な地主とおなじような生活がここにはあると思った」。
波打つ稲田、煙草や綿の畑、カレーで味付けするととてもうまいナスビ、ハスのような葉の水分の多いサトイモ、そしてサツマイモ。
「立派な赤い実をつけた柿の木や金色の実をつけた柑橘類の木が村々の周囲に群れをなしてはえている」。百フィート(約30メートル)以上のりっぱな杉林に囲まれた小さな村。
1本の杉の周囲を計ると十六フィート三インチ(約5メートル)あった。山峡をつらぬく堤防は桃色のアジサイで輝き、高度が増すにつれて優雅なイトシャジンの花畑が広がる。
山岳地帯のただ中で「突如として百軒ばかりの閑静な美しい村」に出会う。
オールコックは書く。「封建領主の圧制的な支配や全労働者階級が苦労し呻吟させられている抑圧については、かねてから多くのことを聞いている。
だが、これらのよく耕作された谷間を横切って、非常なゆたかさのなかで所帯を営んでいる幸福で満ち足りた暮らし向きのよさそうな住民を見ていると、これが圧制に苦しみ、苛酷な税金を取り立てられて窮乏している土地だとはとても信じがたい。
むしろ反対に、ヨーロッパにはこんなに幸福で暮らし向きのよい農民はいないし、またこれほど温和で贈り物の豊富な風土はどこにもないという印象を抱かざるをえなかった」。

 - ドクターのつれづれ。, もったいない学会